日本時代,日方在臺灣倡導節約風氣,宜蘭街的生活風俗上,有許多日本人不樂見的「鋪張行為」,如廟會拜拜、中元普度、喪禮葬費等。以地方仕紳而言,送葬者常常少則百人,多則千人的情形,想來奠儀以及葬禮的費用非常可觀。日本國內當時已有節約葬費的觀念,因此官方在臺灣的節約宣傳有以葬儀改善為一重點,善誘仕紳階級開始轉型舊俗,節約葬儀費,並捐贈於公共事業成為善舉美德,外地坊間還有「節約葬儀費,寄附一千圓」(註1)的說法。 當時報章上有關宜蘭「節省葬費」之新聞: 〈死葬之以禮〉《漢文臺灣日日新報》第 6 版, 1921.10.06 。 去月三十日。宜蘭街故李克聯氏之葬式。於上午十一時舉行。遺族拈香後。各戚友總代之弔詞甚盛。各地弔電亦多。官界則重藤郡守以外有列席者。葬儀新舊式折中。僧侶讀經後。有呂林兩前清學位者。為題主及祀后土。又有掌銘旌者十七人行列頗長。及會葬者之多。堪稱盛況。 聞李家遺族。將於葬費內節省千圓。以寄附公共事業及社寺云。 〈葬儀費の節約 公共事業寄贈〉《臺灣日日新報》第 6 版, 1921.10.19 。 宜蘭街白米商余水土 (補充全名:余林水土) 氏母魏氏○○去る九月二十四日病死し今十八日を以て葬儀舉行の筈たが同氏は故人の遺志もあり旁々該葬儀費中弊風と認る支出を 節約し金一千圓を公共事業費に寄贈 する事とし其支途及び處分方法の指定を宜蘭郡役所へ出願したので指定を俟つて (註2) 〈葬儀費を節約し 公共事業に寄附〉《臺灣日日新報》第 7 版, 1921.11.10 。 臺北州宜蘭郡礁溪庄洪武蘭二一三保正林金海の父林宗慶 ( 七五 ) は保甲制度設置の當初から保正に選ばれ其後學務委員、土地整理委員に就任して盡力尠なからず人望が有つたが本年九月死亡し本月三日葬儀を行つたが林金海は 無用な葬費を節約してオルガンを購入し礁溪公學校に寄附し 又同街異門米商金(勘誤:余)水土は十月中實母が死亡したのに之亦 葬費を節約し一千圓を宜蘭公共事業費に寄附 を申出たが同地方では未だ前例の無い事とて奇特の事だと評判されて居る 〈人事〉《漢文臺灣日日新報》夕刊第 4 版, 1934.06.08。 宜蘭街新順興行...